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みんなの「飛鳥」ブログ


木簡が語る知られざる飛鳥

2008/07/13 12:15
昨日は、両槻会の第9回目の定例会で、飛鳥資料館の会議室をお借りして講演会が開催されました。
今回の講演テーマは、この10年の間に大量に出土した木簡が語る飛鳥のお話で、講師は奈良文化財研究所都城発掘t調査部の主任研究員の市 大樹先生です。

市先生は、発掘された木簡の解読を担当されている気鋭の考古学者で、先般も、藤原宮跡から出土した「右大殿荷八」の木簡の「右大殿」が藤原不比等を示すもので、出土箇所の近辺に不比等の屋敷があったのではと推定され、注目されています。

今回の講演では、飛鳥の中でも特に8000点に及ぶ大量の木簡が出土した「飛鳥池遺跡」(万葉文化館建設地)を中心にお話をお聞きすることができました。
この大量の木簡の解読を通して、富本銭出土で注目された飛鳥池遺跡で、当時この工房の第一線現場で金属製品の生産に携わった渡来系技術者の工人たちの姿が見えてくるというお話はとても感興のあるものでした。

木簡に記された東漢人を中心とする工人名や地名(朝妻、佐味)から、葛城山麓に住み着いた金属生成の高度な技術者集団が、葛城氏の滅亡とともに蘇我氏に取り込まれ、蘇我本宗家の滅亡とともに、天皇家に引き継がれていった過程が見えてくるという。

律令国家草創期を先進的技術を持って生き抜いたこれら渡来系の氏族は、動乱の古代史のテクノクラートとして、この国のかたちつくりに大いなる貢献をした様が、木簡の断片から読み解っていくことができるというお話を聞いていると、木簡は土の中に埋もれた生の第一級の資料であると思われました。

一つの木簡の短い文字断片だけで、それが何を目的に、何について書かれているのかを読み解くのは至難の作業であろうと思われます。しかし、近時大量に木簡が出土するようになって、これまで不明だった木簡の断片が語る古代史の現場が垣間見えてくるようなになったようです。これまでは文字の判読が困難だったものが赤外線写真の分析技術などによって読み解かれつつあります。

遺跡や遺構から出土した木簡を読み解くまでには、周辺木簡の出土や解析技術の進歩に待たねばならない木簡が多数あり、解読内容が定着するまでにも時間がかかるようです。それまで一定の解読作業を終えるまでの木簡は水漬けのまま保存されているというお話でしたが、全国に35万点もあるとされる木簡の読み取り作業は、まさに気の遠くなるような作業です。

これからも出土するであろう木簡によっては、数十年の歳月を経てあらためて注目を浴びる忘れられていた木簡も、古代史を塗り替えるような解読が行われる可能性もあり、木簡が語る知られざる歴史の断章に興味を強くひきつけられる講演でした。

講師を快くお引き受けいただき、貴重なお休みのときを割いて熱心にお話いただいた市先生や、会場として飛鳥資料館を提供いただきました杉山先生や館員の皆さんにお礼を申上げます。ありがとうございました。
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飛鳥の雪景色

2008/01/22 12:00
画像飛鳥に通い続けていても、雪に鎮まる飛鳥を見る機会はめったにありません。しかもそれが休日に遭遇するとなると、いよいよ機会がありません。
雪の予報が出ていても、地元なら降り積もればすぐにも出かけられるのでしょうが、自宅からだと飛鳥に着くまでの時間と雪の融ける時間との競争になります。それなら、朝早く出かければいいようなものですが、寒い上に早出となると、すぐに出かける気分が萎えてしまう軟弱太古です。

先日(1月21日)、そのめったにないチャンスに恵まれました。前日に当日夜から翌未明にかけて明日香は雪の予報でした。ところが21日は月曜日です。前日一緒に飛鳥を巡っていた風人さんと、悔しがることしきりでした。太古は月曜日は休めそうなので、降り積もれば出かけようとひそかに心積もりをしていました。
予報どおり20日の夜遅くから耳成山麓で雪が降り始めたと風人さんから情報が入りました。もう一度、翌早朝の模様も知らせてもらいましたが、すでに雪は止んでいるようです。飛鳥の積雪具合が気がかりで、出勤時間ぎりぎりまで迷っていましたが、だめもとで出かけました。

自宅から飛鳥駅までおよそ1時間。駅頭にもまだかなり雪が残っていましたが、飛鳥中心部より山手の方が雪が多く残っていそうなので、桧隈から朝風峠を越え稲渕の棚田を目指すことにしました。途中、ぜひとも訪ねたい場所がありました。そうです、太古お気に入りのあの栗原のお地蔵さんです。

もう融けてるかなと不安でしたが、なんと太古の訪問を待っていてくれたかのように、雪の中に埋もれ、雪帽子をかぶりながら「ご苦労さん♪」と微笑んで迎えてくれました。もう…この雪中のお地蔵さんに遭遇できただけで大満足でした。

その後、朝風峠を越え、二度目の棚田の雪景色を楽しみながら、お昼ごろには石舞台までたどり着くことができました。里まで下りてくると、やはり雪はかなり融けていましたが、それでも、残雪に鎮まる飛鳥の冬の風景を心行くまで楽しめた一日となりました。この冬、まだ機会はあるのでしょうが、お休みした甲斐がありました。

自宅に戻ってPCを覗くと、橿原の寺田で中華店「花林」を営むyosioさんが早朝の棚田の写真を掲示板に貼り付けてくれていました。午前8時前の稲渕の案山子ロードの積雪状況は、太古の見た棚田とはまるで積雪量が違う光景にびっくりです。やはり、飛鳥の雪景色を見たければ早朝がお奨めですね。

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フォト By yosioさん
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高松塚その後

2007/11/19 20:28
先日、大阪市内で開催されている歴史セミナーの講座の一環として「いま飛鳥京の考古学は熱い」という講演があったので、参加してきました。
講師は明日香村教育委員会文化財課主事の相原嘉之先生です。両槻会でもお世話になっている先生の講演会とあって、せひともお聞きしたかった講座でした。
講演内容は、高松塚の石室解体に伴う発掘調査結果を中心としたお話を、多数のスライドをまじえながら1時間半ほどお話になりました。

昭和47年に今は亡き網干先生が発掘された高松塚古墳は、石室内に描かれた壁画で一躍脚光を浴び、今日の考古学、古代史ブームを巻き起こした発見でした。考古学、文化財に関する報道が新聞の一面で取り上げられることになったのも、この高松塚古墳の発掘が果たした役割が大きかったといえます。

昭和49年には、飛鳥美人に代表される古墳壁画は国宝に指定され、墳墓も地元管理から離れて国が管理する特別史跡となり、壁画は恒久的な保存施設の中で守られることになりました。

保存施設が設けられた古墳内で壁画はしっかりと守られていたと思われていましたが、5〜6年前から壁面に黒カビが発生し、発掘当時に比べると、壁画の劣化が著しく進んでいました。墳丘に覆われた石室内は、人の出入りや外気から遮断される保存施設で安定し、あまり変化はしないものですが、狭い石室内での作業事故やカビの発生状況が公表されず、後に判明した地震などの自然災害と人災が重なって劣化が進みました。

壁画と石室を一体で現地保存することでは、壁画の劣化をこれ以上食い止められない。古墳を守るか壁画を守るか、日本に高松塚とキトラの二つにしかない壁画を守ることを優先すべきか、様々な意見がある中で、結果として石室解体という苦渋の選択が行われました。解体修理という手法には、垂直の壁面や天井壁面に描かれた壁画を、横転、反転させて壁画を上向きにすることで、修理中の崩落のリスクを回避することが出来るメリットがあると考えられました。

こうして壁画を守るために墳丘を崩し、石室を解体することになりましたので、文化庁からその発掘調査を、奈良文化財研究所、橿原考古学研究所、明日香村に委託されることになりました。発掘方法としては、古墳全体を覆う覆屋を作り、墳丘を崩す範囲を最小限にするため石室部分を墳丘から垂直に掘り下げることになりました。


不幸にして石室の解体ということになりましたが、この解体に伴う発掘調査によって、なぜカビや虫が侵入し壁画を劣化させることになったのかを考古学的に検証し、解明するという直接の目的と同時に、古墳築造、石室の構造を明らかにする機会でもありました。そしてこの発掘によって、キトラ古墳や今後もあるかもしれない第三の壁画古墳を、どう守ってゆくかを考えるための重要な発掘調査となりました。

石室解体の過程で、壁画を劣化させたカビを消毒しても除去できなかった原因も分かってきました。

天井石と壁石の間に隙間があり、その隙間にも裏側にもカビが大量に発生していました。石室内だけのカビを消毒除去しても、すぐに隙間から再びカビが進入していたことが分かりました。

さらに石室内に侵入した虫(ゲジゲジやムカデ)が壁面を這い回り、虫に付着したカビが石室内に広がる原因となっていたと思われます。

また虫の死骸や糞がカビの栄養素となり、虫がそのカビを食べて繁殖するという生物サイクルが出来上がっていたと考えられます。

現在、壁画はすべて無事に解体されて近くの修復施設に保存されています。修理に当たっての各石材の図面作りが行われ、10年後に再び古墳の中に戻せるかどうか、戻してもカビが再び発生しないことが可能かどうか、これからの課題です。

高松塚古墳発掘から35年間、文化庁は壁画は国宝、古墳は特別史跡という管理体制を最初に決めてから、途中で方向転換をしようとはしませんでした。カビをゼロにすることは出来なくとも、公表されていれば、壁画劣化を防止するためには、別な方法があったかもしれないと思われます。

この35年間の高松塚古墳が、これからに向けて今語りかけていること、それをわれわれは真摯に聞かなければなりません。
先生の講演は、このような言葉で締めくくられました。良い講演でした。
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第4回両槻会定例会 両槻宮はどこ?

2007/09/20 19:08
 飛鳥好きの定例会も第4回目の例会を迎えました。二カ月に一度の定例会ですが、あっという間にめぐって来るという実感です。

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 飛鳥京跡の中心部から見上げると、東側にひときわ高く聳える山があります。藤本山と呼ばれていますが、地元の方でも山の名前をご存知の方は少ないのではないかと思われるほど平凡な山の名前です。この山頂に飛鳥を見下ろす万葉展望台があります。
 今回は、この展望台から飛鳥を眺めてみようという企画です。今回の企画には、飛鳥眺望と併せて、次回の講演会のテーマともなる斉明天皇の両槻宮にも思いを馳せてみたいという意図があります。

この山に下から上るのは大変なので、後背の多武峰まで桜井からバスで行き、談山神社から万葉展望台まで緩やかな起伏を辿りながら石舞台まで下りて来るという楽チンのはずのコースを選びました。

参加者は総勢23名。1名の方は連絡もなく欠席となりましたが、あとは全員、時間までに桜井駅の多武峰行きバス乗り場に集合。今回も初めて参加の方が数名いらっしゃいますが、すでに何度か定例会に参加されている馴染みのお顔が揃いました。

談山神社でバスを降り、目の前の談山神社はパスして、早速、万葉展望台をめざします。下りコースのはずがいきなり緩やかながら上り道となり、すぐに暑さが堪えて来ます。雨模様の予報だった天気が回復し、厳しい残暑の中のウォーキングとなりました。

万葉展望台は雨だと視界がイマイチですので、お天気の回復はありがたいのですが、展望台から飛鳥への下り路が、下見のときに取り付き口が見つからないほど夏草に覆われていましたので、その上、雨が重なるとこの下りコースは断念せざるを得ないかもと思われていました。幸い前日に、仕事の都合でこの日の参加ができなかった泉太郎さんが辿ってくれました。夏草が刈り取られ、路もある程度整備されている状況をHPにアップして知らせてくれました。おかげでコースには懸念がなくなりました。しかし…暑いです。

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バス停から車道を少し上ると、談山神社の西門跡に着きます。ここからは、路が三方向に分かれます。車道にかかる橋を渡ると冬野方面に、真下の道を辿ると細川に出る飛鳥ハイキングコースです。われわれは、右の道を緩やかに上り、御破裂山の裾を回ります。この分岐点の西口から、金剛、葛城の山並みが眺望でき、しばし暑さを忘れさせてくれます。

しばらく路を辿ると、やがて緑陰に入り、ほっと一息できます。路の片側に苔むした古い石垣が見えてきます。中世に城砦があったその石垣かもしれませんし、あるいはそれ以前にも、このあたりに両槻宮があったのではと想像が膨らむ雰囲気です。

念誦崛(ネヅキ)という呼称が何となく両槻(フタツキ)が連想させることから、日本書紀に記される多武峰の頂にあったという斉明天皇の両槻宮はこのあたりとする人もいるようです。しかし、ここから飛鳥の都を俯瞰するには、樹木や起伏が眺望を遮るため、少し無理があるような気がします。宮には観が設けられていたようですが、よほど高いものでなければ無理だと思われます。
そもそも両槻宮が何のための施設かにもよるでしょうが、城砦にしろ離宮にしろ、飛鳥眺望が望めない位置ではなかったような気がします。しかし、宮が作られた当時、東アジアの国際情勢が緊張していましたから、万一外敵に都を襲われた非常時に逃げ込む場所とすれば、むしろ眼下の飛鳥から宮が見えない方が良かったのかとも思えるのですが、どうでしょうね。

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この念誦崛には天台の高僧増賀上人の墓があります。増賀上人は奇行の人として徒然草にも記されているお坊さんで、世俗の名利や権勢に背を向けるところがあったのでしょうね。墓は石をドーム上に積み上げた特異なもので、即身成仏を遂げたと伝えられています。
墓の周囲は夥しい墓石や石仏が深い樹林と夏草の中に埋もれ、昼でも不気味さが漂う区域です。明治の初めまでここに上人の霊堂紫蓋寺がありました。今でもその石垣と思われるものが残っています。その石垣や石仏もひょっとすると両槻宮の石垣を再利用していたのかもしれません。

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コースをさらに辿ると、高家(たいえ)に下る分岐点に役行者像が見えてきます。行者像の右手に下り路が見えますが、ひとりではとても下る勇気がないほどの杣路です。道なき道が好きで、かってこの路を下ったことのある風人さんでも、あまりお奨めではありませんでした。この役行者像は上の行者像と呼ばれ、下の高家集落には下の行者像があります。上の行者像は柔らかに微笑みを湛えていました。

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談山神社からおよそ3キロで、今回の目的地である藤本山の万葉展望台に到着しました。今日は天気もよく、展望台に立つと、眼下の飛鳥古京、大和三山が見事なパノラマとなって広がっています。金剛、葛城、二上、信貴、生駒の山並みまでが一望でき、左手には午後から訪ねる稲淵の棚田や案山子ロードが見渡せます。

この展望台に立つのは初めての方が多く、参加された方は一様に素晴らしい眺望に満足されたと思います。ただ、暑かったです。日陰があまりなく、汗を拭きながらここで昼食を摂ることになりました。

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この眺望を見ていると、両槻宮がこの場所にあったとしても不思議ではない実感が湧いてきます。飛鳥の都に外敵が攻め入って来たとしても、ここからなら、侵略者の行軍まで肉眼で捉えることが出来そうです。難波から竹之内峠、穴虫峠を越えてくる軍影も奈良坂から攻め入る軍影も見渡せそうですし、危機が迫れば、後背の伊勢、吉野へと逃れることが可能な位置にあります。風人さんの解説に熱が入ります。両槻宮がこことする確かな根拠はありませんが、宮の用途がいかなるものであったとしても、捨てがたい立地です。

両槻宮がどこにあったかについては、近時の発掘結果から酒船石のある丘陵付近ではなかったかとする推論もあるようですが、日本書紀に記された多武峰の頂とするには、あまりにも近すぎる気がします。両槻宮が天宮(あまつみや)とも呼ばれたという記述から、相当な高度にあったのでは思わせます。日本書紀にいう「宮の東の山」に何らかの施設があったとしても、両槻宮とは別個のものとして書き分けられているような気がします。

次回の定例会では、「飛鳥の防衛システム構想(倭京の“守り)」をまとめられた明日香村教育委員会の相原先生に、発掘成果から導き出された構想とその構想にも関わる両槻宮をめぐる諸問題について講演をいただける予定になっています。今回の飛鳥展望散歩はその前振りとしての企画でもありますから、今回参加された方は次回の講演はぜひ注目していただきたいと思います。

さて、飛鳥を展望しながらの昼食を終えたところで、いよいよ眼下の石舞台をめざして下ります。
この楽チンコースのはずの下りが、結構みなさんお疲れになったようです。この時期にしては異常な残暑の中、足元に気を取られながら下りる山道は、慣れていない方にとっては少しきつかったかもしれません。アスファルト舗装の路に出たあたりで小休憩となりましたが、どっと疲れが表れたご様子の方も。その後の下りが舗装道だけに関節に疲労がたまったようでした。それでも、みなさん元気よく無事に石舞台までたどり着きました。

石舞台を見下ろす木陰でしばし休憩を取り、この機会に参加者のみなさんの自己紹介。すでに何度か参加されている方もいらっしゃいますが、今回初めての参加者もあり、歩いている間にお話できる人は限られますので、短い時間でも自己紹介の機会はやはり必要です。中には地元明日香村から参加された方、飛鳥の景観ボランティアをされている方、遠く静岡から参加された方もあり、この例会を通じてまたいろんな方との出会いとなりました。お疲れの方、お時間の都合のある方とは、ここでお別れしました。

休憩の後は、展望台から眺めた棚田の案山子ロードをめぐります。案山子ロードに入るあたりで俄か雨となり、勧請橋の下でしばし雨宿り。雨は直ぐに上がり、暑さに火照った体には救いの雨です。
来週は彼岸花祭りで、この案山子ロードに設置された力作案山子の人気投票も行われます。毎年テーマを決めて多くの案山子が秋の棚田を彩ります。今年のテーマは「元気」、たくさんの元気案山子が実り始めた棚田ロードで出迎えてくれました。

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案山子ロードの中ほどにはシンボルとなるジャンボ案山子が、これもテーマに併せて毎年、新設置されています。このジャンボ案山子の足元の棚田に、絶滅危惧種とされる稀少植物の「ミズアオイ」が植えられ、今年も元気に爽やかなブルーの花を咲かせていました。飛鳥川のほとりなどで実験的に栽培されていましたが、ようやく定位置が決まったようです。

またこのジャンボ案山子の前には棚田作業のために棚田ハウスが設置されています。案山子祭りのころには棚田オーナーの方も出て、訪れる人のために飲み物などの提供も行われています。今回参加者の方のお一人が、この週末にはお手伝いをされるとお聞きしました。

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案山子ロードから朝風峠を抜けると飛鳥駅への下り道となるため、地元の方や棚田オーナーの方とはここでお別れし、後のメンバーは実り始めた棚田を俯瞰しながら祝戸を抜けて再び石舞台公園に戻りました。

本日の定例会はここでおしまい。皆さんとお疲れ様の挨拶を交わし、またの再会を期待してお別れしました。

予想外に残暑厳しい中のウォーキングとなりましたが、終わってみると疲れも忘れる楽しい一日でした。ご一緒くださった皆さん、お疲れ様でした。そして、ご参加ありがとうございました。






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両槻宮

2007/08/12 15:12
第5回両槻会の講演会は、明日香村教育委員会の相原氏が「両槻宮をめぐる諸問題」と題して、日本書紀に記された斎明天皇の別宮について語っていただける予定です。

この斎明天皇の両槻宮は、一体どこにあったのでしょうか。
かって、松本清張が小説「火の路」で、酒船石は両槻宮の付属施設とし、ペルシャ人の影響を受けた斎明天皇の拝火神殿ではなかったかと匂わせていました。
飛鳥を歩き回っていると、この両槻宮のことがとても気になってきました。
さっそく岩波文庫版の「日本書紀」を買ってきて、斎明天皇2年(656年)の記述を見てみると、この両槻宮に関して、次のようなことが記されています。

1 田身嶺に、冠らしむるに周れる垣を以てす。田身は山の名なり、此をば大務と云ふ。
2 復、嶺の上の両つの槻の樹の辺に、観を起つ。号けて両槻宮とす。亦は天宮と曰ふ。

これが書紀が記す両槻宮の全てです。画像
このまま原文を読むと、
多武峰の山頂にある二本の槻の木のあたりに高殿を建て、周囲に垣をめぐらして宮とした。高いところに建てられたので天宮とも言われた。
ということになるのでしょうか。

書紀の時代に「田身嶺」と呼ばれた峰が現在のどの辺りを指しているのかは分かりませんが、いずれにしても飛鳥の都の東側に聳えるピークの一つであったことには相違なさそうです。

では、なぜそのような高所に別宮を作る必要があったのかという疑問がわいてきます。
斎明天皇は自らの宮として、この同じ年に後飛鳥岡本宮を造り遷宮しています。、両槻宮に関する記述の直ぐ前に出てきます。
本来の宮とは別に、その宮を俯瞰する高所に別宮として高殿を建て、周囲に垣をめぐらしたとすると、本来の宮殿が、万一、外敵に攻められたときに、逃げ籠もれる城砦を設けたと考えるのが素直な気がします。

また、両槻宮に続く記述に、大規模な工事を好んだ斎明天皇に対する民衆の怨嗟が記されています。
宮の東の山に石の垣を作るため、民衆を大動員して運河を掘って、石垣の建設用の石を運ばせたとあります。民衆は、この無謀な運河造りを「狂心の渠」として謗ったとありますから、正史である書紀の記述も面白いです。

先年、その石垣と思われる遺構が酒船石のある丘陵の中腹部から検出され、この遺構こそが書紀が記す「宮の東の山に石を累ねて垣とす」に当たる石垣ではないかと推定されています。

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この遺構から、ひょっとすると、これこそ両槻宮の垣ではないかという考えもあるようです。
しかし、そうなると、両槻宮は随分低い位置にあったことになり、書紀が記す「田身嶺に、冠らしむるに周れる垣を以てす」の田身嶺は、現在の多武峰山塊に連なる平野部近くの小山程度になるような気がします。

「宮の東の山」に築かれた石垣という表記から、この宮は後飛鳥岡本宮のことでしょうから、その東の山が田身嶺となります。
ただ、石を「狂心の渠」を引いて来るだけでも大変なのに、その石を使って両槻宮の石垣を築いたとすると、それほど高い山とは思えないことになります。

日本書紀は、後飛鳥岡本宮、両槻宮、狂心の渠工事を、簡潔な文字で連ねて記述しているため、文字間のニュアンスがいろいろな憶測を招きます。

やはり、両槻宮は少なくとも藤本山のような飛鳥を俯瞰できる高所にあったと考えた方が良さそうに思えます。
大和志には、両槻宮は多武嶺の西北に根槻という地名で残っていると記されているようです。

この根槻は念誦崛のことだと思われます。確かに古い石垣が随所に残っていますが、ここからでは眼下の飛鳥を見下ろすには、よほど高い望楼を建てない限り、少し無理があります。

さて、両槻宮はどこにあったのでしょうね。
相原先生の飛鳥防衛構想とともに、この両槻宮をめぐる諸問題について、どんなお話が聞けるのか今から楽しみです。

だれも本当のことは分からない。だから古代史は面白い。だからだれでも勝手なことが言える。だから素人は厄介だ。
と、いう声が聞こえて来そうです。
両槻会もどこにあるか分からないって、言われているし…(*^^)v

この記事、また直ぐに消さなくっちゃ…

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飛鳥検定の日

2007/06/09 22:28
両槻会主催の「飛鳥検定」が橘寺の往生院で行われました。
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集合時間のお昼頃は、梅雨の走りを思わせる土砂降りの生憎の気象状況となりました。
そんな激しい雨脚の中、この日の検定に19名の方が参加されました。

今回も半数ほどの方が初対面で、両槻会に集う人の輪の拡がりを予感させてくれるものがありました。時間の制約もあり、せっかく参加された皆さんとのご縁を活かしきれなかったのが悔やまれました。
次回定例会からは、たとえわずかな時間でも、参加者同士が自由に語り合える座談の時間がとれればと思います。

検定内容は、かなりマニアックな設問もあり、全体としては難し過ぎる印象を抱かれた方も多かったのではと思われました。それでも、予想以上の結果を示された方も少なからずおられ、飛鳥好きの人の深さを感じ取ることができました。

飛鳥をこよなく愛する方々は、たくさんいらっしゃると思います。飛鳥へのアプローチも人さまざまだと思われます。そのさまざまなアプローチに両槻会が契機となってめぐり合えれば、飛鳥への思いに幅と深さを加えることができるのではないかと期待しています。

まことにささやかな手作りの検定ではありましたが、設問に対するコメントへの熱意と配布された資料の充実さに、両槻会の手作りの温もりを感じていただければ幸いです。

今回も、飛鳥への滾る思いをコメントに託された風人さんと事務局を支えていただいたみなさんに感謝です。
また、会場の往生院を快く検定場所に提供していただいた橘寺関係者の皆さんに、深甚の謝意を表したいと思います。
そしてなにより、この検定に参加していただいた皆さんに、感謝です。
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ふるさと納税

2007/05/19 08:34
自分の生まれ育ったふるさとへも納税できる税制度が活発に議論されています。
税源配分や徴税負担、使途不安から賛否は分かれるようですが、自らの意思で納税先を選択できるのはいい制度だと思います。

この際、今住んでいる所以外にふるさとを持たない人にも納税したい先を選択できるようにまでして欲しいものです。
ささやかであっても、思い入れのあるふるさとと言える自治体に貢献できれば素晴らしい。

明日香村や御所市に特別村民制度を設けてもらって、その特別村民として所得税の一部を確定申告できる仕組みを作ってもらいたいものです。
住民税の一部を配分する議論が中心になっていますが、住民を奪い合い、地方財源の奪い合いのイメージとならないよう、国税である所得税を配分すべきでしょうね。

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第2回両槻会定例会

2007/05/14 12:15
朝から雲ひとつない青空が広がり、第2回目の両槻会は五月晴れの飛鳥ウォーキングとなりました。画像
今回は「埋もれた古代を訪ねる」というテーマで、発掘調査後に埋め戻されて、今は土中に眠る数々の遺跡を巡り、古代飛鳥へのイメージを掘り起こそうというかなりマニアックな企画です。

集合場所の飛鳥駅前に集まったメンバーは、全員で26名。うち半数は今回が初めてお目にかかる人たちでした。マニアックな企画にもかかわらず思いのほか多くの方の参加を得て、この日のために40ページにも及ぶ詳細な資料を準備した風人さんも気合が入ります。

それにしても、この資料は中途半端じゃありません。マニアックな内容に加え、土中に埋まって目にすることができない遺跡を現地に立ってあらためてイメージとして描いてもらおうと、随所に工夫をこらした独自の図が添えられています。発掘された飛鳥の遺跡を見続けてきた風人さんならではの、まさに飛鳥集大成とも言える仕上がりです。
集合場所で手渡された資料を目にした皆さんは、この資料だけでも参加した意義がありそうな表情を見せていました。

およそ10キロに及ぶ遺跡めぐりは、好天に恵まれ過ぎてやや汗ばむ状況にもかかわらず、コース途中でお疲れの方のための二箇所の短縮コースも想定しましたが、ほとんどの方は、予定されたコースを元気よく見て回られことになりました。

案内の風人さんは、ポイントごとに資料と現地を見比べながら、熱のこもった説明を加えて行きます。めぐる遺跡のポイントが多く、それぞれの箇所にあまり時間を割けないのが、いかにも残念そうな様子が見て取れます。画像

いくつかのポイントでは「ここでは大きな声では説明できないのですが…」といかにも興味を惹きそうな小声になったり、「…とされていますが、実際は…分かりません」と極めて慎重な対応を見せます。思い入れのありそうな箇所では自説を交えるなど、この日の風人さんを見ていると、日ごろを知る太古にとってはニコニコの一日となりました。

「ところで、ここでは言えないあの内緒の話って、その後どこかで聞いたっけ?…」と、いかにも残念そうなささやきが聞こえてきそうでした。

途中、川原寺跡の芝生広場の木陰でみんなで楽しい昼食タイム。この間に、質疑応答もありましたが、例の内緒の話はだれも確認しなかったようです。みなさん、なかなか紳士淑女で、弁えていらっしゃるのか、すぐに忘れてしまったのか、お弁当に夢中だったのかは不明です。

あらかじめコースの下見で時間配分もきっちり済ませている風人さんも、後半は時間が気になりそうです。ウォーキングの終了後、飛鳥資料館で特別展示しているキトラ古墳の「玄武」壁画見学の予約を入れているので、遅れるわけにはいきません。少し足の疲れが出ている方もありそうなので、飛鳥寺の西門跡近くにあるお休み処「飛鳥庵」で一足先にお休みしてもらうことに誘導することになりました。

この飛鳥庵は飛鳥に集うネット仲間が、ときおり止まり木のように利用させていただいている喫茶店です。気さくなおばちゃんが手作りのわらびもちをたくさん拵えて待っていてくれました。数名の方をこの飛鳥庵にご案内して、みなさんより一足お先にわらびもちをいただき、美味しい珈琲で疲れを癒しました。画像

しばらくして全コースを巡ってきた皆さんも合流。午後4時からの資料館入場までのあわただしい休憩となりましたが、みなさん全員でおばちゃんのわらびもちと珈琲をいただくことができました。あまりゆっくりする時間がなくて、準備して待っていてくれたおばちゃんには申し訳なかったですが、遠方からお見えになった方も、久しぶりに元気なおばちゃんの顔を見て、うれしそうでした。

最後のイヴェント「玄武」見学が行われている飛鳥資料館に予定通りの時間に到着。資料館職員の方が解説について下さり、30分ほどの待ち時間の間も館内の展示物について懇切に説明していただきました。おかげで、待ち時間もあまり気にならずに「玄武」壁画に対面できました。

キトラ古墳から剥ぎ取られた「玄武」の実物は、予想以上に小さなものでした。日ごろは写真でしか見たことがありませんから、狭い石室内に描かれた壁画の実感に思いを馳せた実物見学でした。この日は公開展示期間の休日の初日となっため大勢の方が行列を作ることになり、小さな実物壁画をゆっくりと留まって眺めることは難しいものです。やはり平日に時間をとって出かけることがお奨めでしょうか。

ともかく好天にも恵まれ、第二回定例会ウォーキングは無事終了しました。ご参加いただきましたみなさん、ありがとうございました。両槻会でお渡しした資料を手に持って、あらためてじっくりと飛鳥を巡っていただければ、今回の企画の目的が果たされたことになります。

最後に、この企画と資料づくりに一方ならぬご尽力をいただいた風人さんに、参加者全員で感謝の言葉を送りたいと思います。風人さん、ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

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この日に配布された資料
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高松塚古墳の石室解体

2007/04/06 19:43
明日香村の高松塚古墳の石室解体作業がいよいよ始まりました。画像
古墳内の被葬者のために描かれた装飾壁画の劣化を守るため、石室解体という非常手段を選択せざるを得なくなった前代未聞の国家プロジェクトだそうです。

しかし、この解体作業を国家的プロジェクトというには、あまりにも悲劇的な結末です。国宝壁画に指定しておきながら、国民の目から完全に遠ざけ、一部関係者のみのお宝としてお蔵入りにしたうえ、杜撰な文化財管理の実態を隠蔽し続けた所管官庁が、今、国家プロジェクトと報道される石室解体作業に取り組んでいます。

止むを得ざる選択とはいえ、万一作業に失敗すれば、考古学史上最大の破壊プロジェクトになりかねません。この作業に直接参加することになった関係者の皆さんの心労は想像を絶するものがあると思われます。
幸い第一段階の北側上部の石材は無事に搬出されたようですが、すべての石材と壁画を確実に搬出するには、まだ幾月も緊張の日々が続きます。

解体作業に取り組んだ以上、成功裏に終了してほしいことを願うものですが、現在の関係者にこれほどの心労と緊張を強いることになったこれまでの保存管理関係者に、あの巨石の重みと痛々しさを真摯に感じ続けてほしいと痛切に感じます。
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飛鳥検定

2007/03/12 19:42
画像
飛鳥好きの定例会「両槻会」で、飛鳥検定なるものををやってみようかということになりました。
もちろん発案者は風人さん。奈良検定も受験はしていませんが、ほとんど正解できたようです。
まだ、飛鳥検定はどこも行っていないようですので、どこかが実施する前に両槻会でやってみるのも面白い試みです。
(…で、だれが設問作るンやろう…)と、心の中でつぶやきながら、「ええな…それ!」と、ほろ酔い気分で賛成♪

話を聞いてからわずかの間に、あっという間に、30問の試案がメールで送られてきました。
「これは試してみろというこっちゃな…」
さっそく缶ビール片手に挑戦してみると、意外に25問正解することができました。
太古もまんざらじゃないぞ、と大満足(*^^)v
全問正解したときは会長を降りることにしよう。飛鳥卒業ね。

で、間違いそうになったのが、あるものの高さと有名な石の向きでした。
知っているようで知らなかったのが、ある機関の愛称です。これは一つを間違えると二つとも間違える可能性があるように作られています。
それと飛鳥時代を生きた天皇の皇子というのは分かりにくい。いった誰が誰との間の子やら…。
後で系図を見ても複雑にトンネルで絡んでいて、よくあれだけいろんな女性とできたものだと、感心♪
もうひとつさっぱり分からなかったのが、石の材質。これはあてずっぽでも正解にはなりませんでした。はい♪

結局、問題を解いているうちに、知っているようで知らない飛鳥が見えてくるという按配です。
いずれ発表されることになると思いますので、関心のある方は楽しみにしていてください。
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タイトル 日 時
キトラ古墳の朱雀
キトラ古墳の朱雀 キトラ古墳の朱雀が剥ぎ取りに成功したそうで、高松塚のように石室解体という悲惨な結果に至らず、幸いでありました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 1

2007/02/16 21:20
土山塚その後
土山塚その後 西飛鳥であらたな壁画古墳か? と報しられた土山塚を再訪してみました。 ...続きを見る

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2007/02/12 21:25
飛鳥好きの定例会
飛鳥好きの定例会 飛鳥庵に集うネット仲間を中心に定例会を立ち上げようということになりました。 以前、飛鳥資料館で陶芸教室が開催されていたころは、この教室がネット仲間の交流の場となっていましたが、資料館の事情で開催できなくなり、定例的な交流の場がなくなりました。 その後、飛鳥庵のおばちゃんが仲間の交流の場として気さくに受け入れてくれましたものの、何か目的がないと輪も広がりにくいことから、隔月にテーマーを決めて集まろうと風人さんが提案。 ...続きを見る

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2007/02/04 10:39
発掘された蘇我氏の飛鳥
発掘された蘇我氏の飛鳥 飛鳥資料館で開催中の発掘調査速報展 「飛鳥の考古学2006」 この速報展の特別講演会として明日香村教育委員会相原嘉之氏による「発掘された蘇我氏の飛鳥」をテーマに講演が行われました。 講演会は、前日に放映されたNHKの番組や、11日には甘樫丘東麓遺跡の発掘調査現地説明会が控えていることもあって、聴講者が場外にまで溢れる大盛況でした。 ...続きを見る

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2007/02/03 23:31
新たな壁画古墳?
新たな壁画古墳? <追記> 今日2月3日、この記事に関する内容が確認できました。 残念ながら、信憑性がないということです。 ...続きを見る

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2007/01/21 22:06
2006年の彼岸花
2006年の彼岸花 9月の声を聞くと、飛鳥、葛城の彼岸花が思い出され、まだつぼみの頃から彼岸花を求めて野道を歩き回りました。 ...続きを見る

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2006/09/25 20:46
消えゆく飛鳥
消えゆく飛鳥 16日の朝刊の新聞記事に載ったタイトルです。 ...続きを見る

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2006/09/19 21:34
飛鳥光りの回廊 伝飛鳥板蓋宮跡
飛鳥光りの回廊 伝飛鳥板蓋宮跡 今日からの三連休も、台風の影響で雨模様となりそうな予報。 ...続きを見る

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2006/09/16 22:02
案山子ロードのミズアオイ
案山子ロードのミズアオイ 飛鳥の彼岸花祭が来週の三連休に始まります。 この祭にあわせて、恒例の案山子コンテストも行われます。 明日香稲渕の棚田ロードには、今年のテーマ「夢」にちなんだ案山子の設置が進んでいます。 8月下旬から設置が始まり、すでに力作案山子がいくつも登場していますが、その後の新設案山子が気になって、彼岸花祭を待ちきれず、9日に再び案山子ロードを訪ねてきました。 ...続きを見る

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2006/09/10 16:19
高取から明日香へ
高取から明日香へ 今日は、梅雨末期、つかの間の晴れ間が覗く休日となりましたので、久し振りに高取の城下土佐町を歩いてきました。 しばらく訪ねていないうちに、新しい道ができていたり、町並みの整備も進んでいました。 薬の町として栄えた高取の城下町は、街道沿いに今も往時を偲ぶ古い民家が大切に保存されています。 ...続きを見る

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2006/07/22 23:50
キトラ古墳の白虎公開
キトラ古墳の白虎公開 古墳壁画の実物に、はじめてお目にかかって来ました。 公開後最初の休日は雨となりましたが、それでも白虎を見るには60分待ちの人気でした。 ...続きを見る

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2006/05/13 20:48
飛鳥蓮華まつり
飛鳥蓮華まつり 明日香村大字飛鳥で、4月30日、今年で7回目の蓮華祭が行われました。 大字内の春のお祭ですが、大字飛鳥は飛鳥の中の飛鳥です。 飛鳥寺のある飛鳥は、まさに飛鳥揺籃の地ともいえる在所です。 ...続きを見る

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2006/05/01 18:47
聖徳太子勝鬘経講讃1400年慶讃法要
聖徳太子勝鬘経講讃1400年慶讃法要 日本史の教科書にも掲載されていた「三経義疏」という単語は何となく記憶していますが、三経が法華経、維摩経、勝鬘経であることまでは記憶が定かではありません。 その三経の「義疏」(注釈)を聖徳太子が日本人としてはじめて著されたとされています。 法華経というのは日頃馴染みのある経典名ですが、維摩経、勝鬘経となると何の経典やらさっぱり分かりません。 ネットで探してみると、勝鬘夫人という一女性の純真な信仰告白を通して、如来蔵・一乗など主要な大乗の思想を説くもののようです。 ...続きを見る

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2006/04/24 23:05
高松塚壁画古墳
高松塚壁画古墳 明日香村をわき立たせた発掘以来、貴重な文化財は人の目に触れない恒久的な保存が行われ、再び古代の深い眠りについていたものと思い込んでいましたが、いつの間にか劣化が進み、ついには石室を解体するに至る無残な結果となりました.。 ...続きを見る

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2006/04/13 20:51
黄砂舞う春の飛鳥
黄砂舞う春の飛鳥 昨日は折角の桜日和と期待していましたが、朝から強い季節風が吹き、見ごろを迎えた桜も大揺れの一日でした。 ...続きを見る

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2006/04/09 07:55
発掘現地説明会ラッシュ
発掘現地説明会ラッシュ もうすっかり春の陽気となった11日。 話題の飛鳥京跡、石神遺跡、島庄遺跡の発掘成果の現地説明会が行われ、飛鳥は終日多勢の古代史ファンで賑わいました。 ...続きを見る

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2006/03/11 22:42
飛鳥のとんど
飛鳥のとんど 15日。小正月を迎えた明日香村では、各字ごとに「とんど焼き」が行われました。 とんど焼きは例年14日に行われますが、生憎の雨のため、多くの字ではこの日に順延となりました。 字飛鳥のとんどは、飛鳥寺の南西の田んぼで午後6時から始まりました。 冬田に青竹のやぐらが組み上げられ、正月飾りや書初めの半紙を燃やして、今年1年の無病息災、家内安全、五穀豊穣を燃え盛る火に託す新春の行事です。 ...続きを見る

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2006/01/16 12:52
明日香稲渕の勧請綱掛神事
明日香稲渕の勧請綱掛神事 平成18年1月9日。 明日香村の稲淵地区で新春恒例の勧請綱掛神事が執り行われました。 ...続きを見る

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2006/01/10 21:03
飛鳥の蹴鞠
飛鳥の蹴鞠 12月23日。石舞台古墳のある歴史公園の広場で、飛鳥の蹴鞠が行われていました。 飛鳥の蹴鞠は、談山神社や京都で行われている公家蹴鞠のような雅かさはありませんが、飛鳥時代に行われていた蹴鞠はこのようなものであったのではと想われる闘技的要素の強い素朴さがあります。 飛鳥蹴鞠の復元はまだ始まって歴史が浅いようですが、大化改新の主役となった中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの端緒となった競技だけに、飛鳥でこそ定着してほしいイベントです。 実際の蹴鞠を見ていると、何気なく蹴っているのではなく、足の甲で蹴り... ...続きを見る

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2005/12/26 23:01
カヅマヤマ古墳
カヅマヤマ古墳 現地からの画像です。 見学会ということで説明はありませんでした。 明日、公民館で報告会が予定されています。 ...続きを見る

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2005/12/03 12:34
甘樫丘東麓遺跡
甘樫丘東麓遺跡 16日に現地説明会が行われた蘇我入鹿の邸宅跡と思われる7世紀の建物跡が発掘された現場に出かけてきました。 もう埋め戻されているかと思っていましたが、まだ発掘現場を見ることができました。 ...続きを見る

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2005/11/26 19:59
石神遺跡
石神遺跡 飛鳥時代・斉明天皇の饗宴施設と考えられている石神遺跡の第18次調査が進められています。 今回の調査では、これまでの調査で確認された沼状遺構や南北方向の遺構の延長と木簡の出土が想定されています。 現在、調査区の水田の土が取り払われ、水田の床土の掘り下げ段階にあります。 ...続きを見る

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2005/10/30 16:00
大和之国まほろば天響祭
大和之国まほろば天響祭 飛鳥庵のおばちゃんがチケットを確保してくださり、風人さんとおばちゃんと藤原京の発掘調査に従事していた大学院生とそのお友達の5人で参加してきました。 国立飛鳥歴史公園石舞台地区の風舞台と前の広場を利用して設営された「天響祭」に参加するのは初めてでした。 ...続きを見る

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2005/10/02 09:54
飛鳥で観る中秋の名月
飛鳥で観る中秋の名月 9月18日、ネット仲間の皆さんと飛鳥の中秋の名月を観るオフ会が行われました。 飛鳥寺の西門を出たところにある喫茶「飛鳥庵」の前の広場を飛鳥時代の槻の木の広場に見立て、手作りの宴を張りながら月の出を待つことになりました。 飛鳥庵は、日ごろネット仲間の止まり木のように利用させていただいているお休み処です。この日、飛鳥庵のおばちゃんは生憎海外旅行で不在でしたが、風人さんが事前にご了解を得て観月に使わせていただくことになりました。 ...続きを見る

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2005/09/21 19:57
今日もよく働いた♪
今日もよく働いた♪ 明日香案山子ロードのおじさんは働きものでした。 これだけ準備すれば安心の笑みが独りでにこぼれます♪ ...続きを見る

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2005/08/28 14:58
藤原宮朝堂院東第六堂の現地説明会
藤原宮朝堂院東第六堂の現地説明会 残暑がことのほか厳しい中、大勢の古代史ファンが詰め掛けていました。 午前中に島庄遺跡の現地説明会が行われ、午後からは藤原宮の現地説明会が設定されていましたので、ほとんどの方が両遺跡の説明会に参加されたと思われます。 両遺跡とも調査担当者から熱心な説明を受けましたが、いやあ暑かったです! 現地説明会というのは、どうも暑い日寒い日が多いように思われます。 でも、今日の藤原宮の現説会場には冷たいお茶のサービスがあり、ありがたかったです。 生Bがあれば、もっといいのに…とつぶやく御仁もいたそ... ...続きを見る

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2005/08/27 23:52
飛鳥の彼岸花
飛鳥の彼岸花 小さな秋が見つかりました。忍び寄る秋の気配の彼岸花です。まだ一輪だけですが、高松塚付近に咲いていました。 ナンバンギセルもススキの根元に花芽をいっぱいに見せていました。 ...続きを見る

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2005/08/15 17:18
奥飛鳥探訪 女渕・男渕
奥飛鳥探訪 女渕・男渕 細谷川を遡った所に皇極天皇が642年に雨乞いを行ったと伝えられる二つの渕があります。 女渕・男渕と名づけられ、飛鳥川の源流に当たるこの地域までは訪ねる人も稀で、まさに奥飛鳥の秘境の趣きがあります。 梅雨明け間近となったこの日、風人さん、ももさんのご案内で、道なき道を分け入り、小さな滝を探しに出かけてきました。 里の蒸し暑さからすると、谷水の冷気に包まれた深い樹林地帯は別世界でした。 風人さん、ももさん、ご案内ありがとうございました。 ...続きを見る

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2005/07/17 06:23
檜隈寺跡の講堂
檜隈寺跡の講堂 久し振りに入梅前の明日香の檜前を訪ねてきました。 これまで雑草に礎石がうずもれていた檜隈寺跡の講堂がきれいに整備されていました。 ...続きを見る

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2005/06/06 22:23
新緑の飛鳥
新緑の飛鳥 すっかり新緑の季節となった飛鳥。 今日は、風人さんの写真を見て、飛鳥川の川上に鎮まる宇須多岐比売命神社の新緑を撮りに出かけてきました。 あの神社の急峻な階段を覆う新緑は、眼が覚めるほどに瑞々しく鮮やかでした。 飛鳥もここまで来ると、飛鳥川の瀬音が心地よく響き、深山幽谷の趣がありますね。 ...続きを見る

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2005/05/08 21:14
飛鳥寺の蹴鞠
飛鳥寺の蹴鞠 地区住民の厚生行事である蓮華祭にあわせて、飛鳥時代の蹴鞠を再現しようと、大化改新の舞台となった飛鳥寺境内で行われました。 大化改新の主役中大兄皇子と中臣鎌足が出会うきっかけとなったのが、槻の広場で行われた蹴鞠が縁であったという。 その槻の広場が飛鳥寺の西側にある蘇我入鹿の首塚と甘樫丘までの間にあったのではないかとされています。 神が降下する神聖な槻の大木の根株はまだ発掘されていないため、槻の広場は特定できていないようです。 ...続きを見る

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2005/04/30 22:37

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