高松塚その後

先日、大阪市内で開催されている歴史セミナーの講座の一環として「いま飛鳥京の考古学は熱い」という講演があったので、参加してきました。
講師は明日香村教育委員会文化財課主事の相原嘉之先生です。両槻会でもお世話になっている先生の講演会とあって、せひともお聞きしたかった講座でした。
講演内容は、高松塚の石室解体に伴う発掘調査結果を中心としたお話を、多数のスライドをまじえながら1時間半ほどお話になりました。

昭和47年に今は亡き網干先生が発掘された高松塚古墳は、石室内に描かれた壁画で一躍脚光を浴び、今日の考古学、古代史ブームを巻き起こした発見でした。考古学、文化財に関する報道が新聞の一面で取り上げられることになったのも、この高松塚古墳の発掘が果たした役割が大きかったといえます。

昭和49年には、飛鳥美人に代表される古墳壁画は国宝に指定され、墳墓も地元管理から離れて国が管理する特別史跡となり、壁画は恒久的な保存施設の中で守られることになりました。

保存施設が設けられた古墳内で壁画はしっかりと守られていたと思われていましたが、5~6年前から壁面に黒カビが発生し、発掘当時に比べると、壁画の劣化が著しく進んでいました。墳丘に覆われた石室内は、人の出入りや外気から遮断される保存施設で安定し、あまり変化はしないものですが、狭い石室内での作業事故やカビの発生状況が公表されず、後に判明した地震などの自然災害と人災が重なって劣化が進みました。

壁画と石室を一体で現地保存することでは、壁画の劣化をこれ以上食い止められない。古墳を守るか壁画を守るか、日本に高松塚とキトラの二つにしかない壁画を守ることを優先すべきか、様々な意見がある中で、結果として石室解体という苦渋の選択が行われました。解体修理という手法には、垂直の壁面や天井壁面に描かれた壁画を、横転、反転させて壁画を上向きにすることで、修理中の崩落のリスクを回避することが出来るメリットがあると考えられました。

こうして壁画を守るために墳丘を崩し、石室を解体することになりましたので、文化庁からその発掘調査を、奈良文化財研究所、橿原考古学研究所、明日香村に委託されることになりました。発掘方法としては、古墳全体を覆う覆屋を作り、墳丘を崩す範囲を最小限にするため石室部分を墳丘から垂直に掘り下げることになりました。


不幸にして石室の解体ということになりましたが、この解体に伴う発掘調査によって、なぜカビや虫が侵入し壁画を劣化させることになったのかを考古学的に検証し、解明するという直接の目的と同時に、古墳築造、石室の構造を明らかにする機会でもありました。そしてこの発掘によって、キトラ古墳や今後もあるかもしれない第三の壁画古墳を、どう守ってゆくかを考えるための重要な発掘調査となりました。

石室解体の過程で、壁画を劣化させたカビを消毒しても除去できなかった原因も分かってきました。

天井石と壁石の間に隙間があり、その隙間にも裏側にもカビが大量に発生していました。石室内だけのカビを消毒除去しても、すぐに隙間から再びカビが進入していたことが分かりました。

さらに石室内に侵入した虫(ゲジゲジやムカデ)が壁面を這い回り、虫に付着したカビが石室内に広がる原因となっていたと思われます。

また虫の死骸や糞がカビの栄養素となり、虫がそのカビを食べて繁殖するという生物サイクルが出来上がっていたと考えられます。

現在、壁画はすべて無事に解体されて近くの修復施設に保存されています。修理に当たっての各石材の図面作りが行われ、10年後に再び古墳の中に戻せるかどうか、戻してもカビが再び発生しないことが可能かどうか、これからの課題です。

高松塚古墳発掘から35年間、文化庁は壁画は国宝、古墳は特別史跡という管理体制を最初に決めてから、途中で方向転換をしようとはしませんでした。カビをゼロにすることは出来なくとも、公表されていれば、壁画劣化を防止するためには、別な方法があったかもしれないと思われます。

この35年間の高松塚古墳が、これからに向けて今語りかけていること、それをわれわれは真摯に聞かなければなりません。
先生の講演は、このような言葉で締めくくられました。良い講演でした。

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